私は教育系のゲームが嫌いだった。アサシンクリード以外は。あれは最高だ。ただ全ての教育系のゲームはほんとに最悪だと思う。
そんな私がなぜある特定のスキルを向上させるゲーム作りに取り組んでいるのか?それって教育系というゲームなのではないか。
私は2014年にある経験があったことが起因して、このチームに参加することにした。それはシドニーでバックパッカーホテルにいて、眠れずにいた夜中の12時のこと。私の友人はみな寝てしまっていて、私は全く疲れてもいなかった。そこには明らかに不眠状態のスペイン人の大学生グループがいた。彼らはアップルトゥアップルをやっていた。私はスペイン語を2000年序盤に数年習ったことがあるため、彼らにスペイン語で話しかけてみた。しかし知的な会話までにはいかない。ただ、ゲームを理解していたしゲームを遊ぶには十分に話せたので、アップルトゥアップルを一緒に遊ぶことになった。
数時間が経った。
僕らはずっと笑っていた。そして今度は私が英語のゲーム、人倫対線カードエームを持ってきて、それで遊ぶことになった。
数時間が経った。
僕らはおそらくそのホテルゲストの半分は起こしてしまっていた。夜があけてくるころには、彼らのアクセントをより理解できるようになっていた。ずいぶん前に話さなくなった言語が自然に使うたびにでてくるようになった。ただの言語に長けた人としてではなく、人として言語が上達しているように感じた。なぜならその夜、悪い言葉の意味もわかるようになったからだ。
その旅では、シドニーの観光地はほとんど見たし、ブリスベンのナイトライフは堪能したし、ニューイヤーを祝うためにアメリカのニューオリンズまで飛んでいった。とても素晴らしい経験をしたのに、一番よく覚えているのはーもっとも楽しかったのはーバカバカしいゲームをスペイン人のバックパッカーたちと遊んだことだった、ちょっとしか話せなかったにも関わらず。
ゲームは外国語にも関わらず楽しかったのではない。ゲームは外国語だったから楽しかったのだ。
私の弟、ジョーダンが、このスタートアップ会社と作っているゲームの内容を話してくれたとき、彼のヴィジョンはすぐにわかった。それは、あのアップルトゥアップルを遊んだ時の楽しさ、知的な挑戦、相互間の上達、バカバカしさ、全てが一つのゲームに入っているのだと。
私はスタンダードバベルを信じているし、見知らぬ人たちとくだけたスペイン語でアップルトゥアップルを夜中遊んだくらいに楽しいゲームを、いつか遊べる日を思ながら、毎日ゲームを一生懸命つくっている。